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随想録

推理小説賞に関することや雑多な情報、そして徒然なるままに感じること
を書き連ねた頁です。作家を夢見る思いなどは「夢綴り」をご覧下さい。

「摩天楼の怪人」やっと読みました。
 雑誌「ミステリーズ」に連載された「摩天楼の怪人」ですが、やがて単行本になるだろうことを想定して、そのとき一気に読もうと連載を読まずに待ち続けた作品です。
 発売翌日に神田三省堂に買いに行き、当日催された島田荘司氏のサイン会にも参加しました。お恥ずかしい話ながら、買っただけで読んでいない本が多くて、買ってから1ヶ月経ってやっと読む番が回ってきました。
 本作品は、ご存じ御手洗潔が登場しますが、今回はニューヨークのコロンビア大助教授です。今回も度肝を抜く不可解な謎の数々、幻想味溢れる怪人ファントムと亡霊、そして冴えわたる御手洗潔の推理、読み進むにつれてドンドン惹き込まれ、600ページもの作品を一気に読んでしまいました。
 マンハッタンの都市論、建築論、大女優ジョディ・サリナスとオペラ座の怪人を思わせる怪人ファントム、セントラル・パーク、……おっと、迂闊なことは書けません。とにかく非常に読み応えがある作品です。御手洗潔も魅力的です。
2005/12/02 (Fri)

作家岸田るり子さんにお会いして
 島田荘司先生のサイン会の折りに、島田先生と親交のある岸田るり子さんが会場にいらしていて(サイン会に並んだりはしていません)、ほんの僅かな時間でしたがお会いしてお話しをすることが出来ました。
 岸田るり子さんは、一昨年の鮎川哲也賞を受賞され、昨年秋に受賞作「密室の鎮魂歌」が出版され作家デビューされました。
 その受賞作「密室の鎮魂歌」は、冒頭から強烈な謎が提示され、新味とはこういうことかと思わず唸ってしまった作品です。
 その見事な作品を世に出した作家岸田るり子さんとは、どのような方なのだろうか? という興味は常にありました。
 岸田さんとは、デビュー以前からメール等をやり取りさせて頂いておりましたし、デビュー後も変わらず接して下さっていましたので、全く知らない仲ではありませんでした。しかし直にお会いしたことがありませんでしたので、あの素晴らしい作品を書かれた方の素顔は如何に? という興味がありました。
 そして実際にお会いした岸田るり子さんは、あの幻想味溢れる驚愕の作品を書かれた方とは想像も付かない程、気さくで、自然で、穏やかな方でした。もちろん女性としても輝きがあって魅力溢れる方でした。
 この方の何処からあのような発想が生まれるのだろうか? 面と向かってお話をしていると不思議に思えました。でも貴重なアドバイスを下さったときの話し方や表情は、間違いなく自信に満ちたプロのものでした。
 やはり思考の構造は私のような素人のモノではなく、「作家」というプロフェッショナルの領域にいらっしゃる方であることがヒシヒシと伝わってきました。
 素人で実力の程も確かではない者にも、気さくに接して下さる岸田さんには感謝の気持ちでいっぱいですし、そうしたご厚意に応えるためにも、私はいい作品を書く努力を怠ってはいけないと痛切に思いました。
 待っていて下さい。必ずいい作品を書きますから……。
2005/11/10 (Thu)

速報! 島田荘司先生サイン会
 今日(10/30)、神田神保町の三省堂本店で「島田荘司先生『摩天楼の怪人』刊行記念サイン会」が催され、なんとか整理券を確保したので行って来ました。
 三省堂に着くと中は大変混雑していましたが、予約していた本(「摩天楼の怪人」)を入手するためにレジに並びました。私の前に並んでいた人は全員が「摩天楼の怪人」を予約した人で、まるで専用レジのようでした。サイン会の案内係の人は、ひきりなしに質問に遭っていましたが、書店に来てサイン会のことを知った人も大勢いて、どうすれば参加できるのかと盛んに質問していました。
 整理券を持っている人は、到着順に並びましたが、行列は階段の1階から上階に向かって繋がっていきました。15分前頃に行列に加わりましたが、その頃には最後尾が4階辺りでした。その後も続々と行列が繋がっていきましたので、最後尾は一体何階まで行ったのでしょう?
 私の番が回ってきたのは開始から1時間15分過ぎた頃でした。それもその筈で、島田先生が一人一人に名前とサインを入れて下さり、その上写真撮影にも一人一人に応じてくれていました。読者(ファン)を大事にする島田先生の人柄が伺えました。
 島田先生にお会いするのはもちろん初めてでしたが、故あって島田先生が人伝に私のことをほんの少しばかり知って下さっているということもあり、そのことに関連して非常に温かな言葉を頂き、励ましても下さいました。そうしたお心遣いが有り難く、ひたすら恐縮するばかりでした。
 初めてお会いした島田先生は、穏和で人当たりが柔らかく、真心が滲み出ているという感じでした。実績の偉大さ、影響力の大きさなどから考えると、あまりに気さくで、想像とは随分違う印象を受けました。器の大きさを感じましたが、本当に素晴らしい方です。
 サイン会の行列も長蛇の列でしたが、サイン会場の周りには、サイン会に参加出来なかった人が集まり、盛んにカメラ付き携帯のシャッターを押していました。いっとき三省堂書店のワンフロアーが、作家島田荘司に惹かれた人たちの熱気に支配されていた。そんな印象のサイン会でした。やはり島田荘司先生はカリスマでした。
2005/10/30 (Sun)

京都「丸善」に置き去られた檸檬?
 今日(この時刻だと昨日になりますね)の朝日新聞夕刊に小さな記事が載っていました。「丸善」京都河原町店が10月10日に閉店になるそうですが、売り場の本の上に檸檬を置いて立ち去る客が相次いでいるそうなのです。
 これは梶井基次郎の短編「檸檬(れもん)」にちなんだもので、主人公が丸善に入り、本を積み上げてその上に果物屋で買った檸檬を置いて去っていくシーンがあります。それを真似て、檸檬を置いていく客がいるのだそうです。
 これまでは年に数回だったものが、丸善の閉店が決まった今春から徐々に増えはじめ、現在11個の檸檬が置かれていったとのこと。店では忘れ物としてバスケットに集めて、「檸檬」の文庫本のわきに置いているということです。文庫本もここ数日、1日60冊も売れているそうです。
 その記事を読んで、粋な人もいるもんだなあ、と感心しましたが、置き去られた檸檬をバスケットに入れて置いておく丸善もまた粋だと思いました。
 梶井基次郎は、昭和7年31歳の若さで短い生涯を閉じましたが、自らの心の中を、洗練された詩的な文章であらわし、珠玉のような作品を書き残した作家といわれています。「檸檬」は戦前の作品ですが、未だに根強いファンがいるということだと思います。
 最近は新聞を読んでもろくな記事がありませんが、久々に新聞を読んで良い気持ちになりました。流石に京都は粋な街ですね。
2005/10/02 (Sun)

天使のナイフ
 本年度の江戸川乱歩賞受賞作「天使のナイフ」を読みました。
 物語は、13歳の少年3人に妻を殺された桧山のもとに、犯人のうちの1人が殺されたという知らせが入ります。桧山にはアリバイがありません。容疑をかけられた桧山は、沢村の死をきっかけに、加害者である少年たちの事件後の生活を調べていくことになります。そして……。
 少年犯罪を、少年法の前に蚊帳の外に置かれた被害者の視点と少年法に守られた加害者の視点で、偏ることなく描かれ、真の更生とは何なのか? といった答えを導き出して行きます。なかなか堂々とした社会派小説です。
 主人公が特殊な職業に就いていたり、特殊な世界が描かれていることが乱歩賞受賞の条件のようになり、ともすると小説として面白味に欠けていた乱歩賞受賞作ですが、久々に面白い小説でした。
 前半は変化に乏しく地味で、ともすると退屈な印象もあるのですが、中盤からは俄然面白くなり、一気に読んでしまいました。
小説の書き方で、最初の3ページが勝負と習ったことと照らし合わせると、前半の展開は?ですが、読み終えてみると、こういうのもありかなと、取り敢えず納得できます。
 気になる点はいくつかあるのですが、全体の構成やテーマへの説得力などから、細かなことはどうでも良いと思わせてくれます。
 乱歩賞受賞作を読んで、良かったと素直に感じたのは久しぶりのような気がしますが、読んで面白い作品が受賞し続けて欲しいものです。
2005/09/26 (Mon)

イニシエーション・ラブ
 買ってから8ヶ月位経ったでしょうか、やっと乾くるみの「イニシエーション・ラブ」を読了しました。他に読むものがあって、なかなか順番が回ってこなかったのです。
 私は好みは人それぞれですから、滅多に本を人に薦めしたりはしないのですが、「イニシエーション・ラブ」はお薦めしても良いかな、と思わせる作品でした。
 綾辻行人氏だったと思いますが、「用心して読み始めながら、気がついたら物語に引き込まれて、気付かずに読了してしまった」というような氏のコメントが、何かに掲載されていましたが、私も同じ轍を踏んでしまいました。
 読んでいて恥ずかしくなるような初な純愛物語なのです。その頼りなさに思わずハラハラしながら読み進んで仕舞いますが、しかし……。
 本の帯には、「誰もが覚えのあるほろ苦い恋愛小説、誰もが声を上げる驚愕の仕掛け−。ぜひ、2度読まれることをお勧めします」と宣伝文句が書かれています。
 とにかく、ラストに思わず驚きの声を上げてしまいました。
やられました。
 昨年のミステリー・ベストテンを賑わしただけのことはあります。ただしミステリー・ベストテンを賑わしたとはいえ、殺人も起きなければ、探偵も出てきません。でも……。読んで損はない作品です。
2005/08/17 (Wed)

第25回横溝正史ミステリ大賞最終候補
 第25回横溝正史ミステリ大賞の最終候補作が発表されましたが、その中によくご連絡を下さる児島毅さんのお名前がありました。児島さんは、日本ミステリ文学大賞新人賞でも最終選考に残られましたが、連続の最終候補、素晴らしいことです。
 児島さんはいつも謙虚にお話をされますが、そうした姿勢がより多くのことを吸収し、自らの力をどんどん向上させているような気がします。何某かの交流のある方では、昨年岸田るり子さんが鮎川哲也賞を受賞されておりますが、それに続いて大賞を射止められることを祈らずにはいられません。
 児島さんや岸田さんを見ていると、最終候補に残る作品を書かれる方は、矢張りレベルが違うことを痛感します。(岸田さんは既に受賞しプロデビューされましたが)例え賞を射止めることが出来なくても、必ずまた最終候補に残る作品を書かれています。
 そのようなお一人に、幾度かメールのやり取りをさせていただいた金沢整さんという方がいらっしゃいます。毎年大きな賞で最終候補に残られておりました。昨年はご尊名を拝見できませんでしたが、頑張っていらっしゃるでしょうか。
 私などはそうした方々の足下にも及びませんが、いつかは自分もそうなりたいと思いつつ、良い目標になっています。

 ともかく今は、児島さんのご検討を心からお祈りしております。
2005/01/15 (Sat)

新年にあたって……。
 新しい年が幕を開けました。昨年は書くことよりも、考えることの方が多い一年でした。考えることとは、もちろん小説のことですが、小説の内容と言うより、何を書くべきかという基本の部分についての考えでした。
 書きたいことを書くべきか、新味を追求するべきか、トリック(謎)の新鮮さを狙うのか、物語世界の新しさを求めるのか、などなど書いては考え、考えては書き、そしてまた考え込む、そんな一年でした。でも、私なりに答えは見つかった気がしています。
 それは自分自身が小説家として存在する意味のある作品を世に問い掛け、それで作家への道に挑戦するというものです。書きたいことは、書きたいものを書いても良いという状況が出来てから書けばいい。書きたいことを書くにも、まずは作家になれなければそれすらできないという当たり前の真理に改めて気付いたというと、少々幼稚でしょうか。
 その答えに実情を照らし合わせると、どうもやり方を間違えていたようです。人の真似とは言わないまでも、亜流ではいけない。既成の作家の作風に似ていてはいけないし、独自性があってもつまらなくてはいけない。個性的であって、その個性が読者の興味を惹くようでなくてはならない。そう思い至りました。
 そう言葉に表しますと小難しく理屈張って聞こえますが、それは賞を狙う最短の道になると確信しています。
 若ければ多少の問題はあっても、輝きを放つものがあれば許される面がありますが、若くなければそこには成熟さが要求されます。しっかりとした考えと、作家としての存在意義に対する明確なメッセージが必要です。
 こうして書くと当たり前の話になってしまいますが、今年はともかく得た答えを具現化した作品を書き、賞に挑戦していきます。
 あれこれ考えたお陰で、ネタは随分溜まりました。ネタの使い方をしっかり考えれば、数には不自由しないで済みそうです。
 いずれにしても今年は書こうと思います。考えることは充分過ぎる位しました。あとは実践あるのみです。
2005/01/02 (Sun)

岸田るり子氏デビュー!
 受賞決定時よりお伝えしている第14回鮎川哲也賞受賞の岸田るり子氏が、本日の受賞作「密室の鎮魂歌」刊行をもって、めでたく作家デビュー致しました。今日は刊行日であると同時に、鮎川哲也賞の贈呈式が催されています。

 さて「密室の鎮魂歌」、早速丸の内・丸善(日本橋より移転)に買いに行きました。大型店舗だけにエンターテインメント系のコーナーに行くと、多くの著名作家の小説が平積みされている中に「密室の鎮魂歌」を発見。高く積まれた小説の中で、一番低くなっていました。それだけ買われていったことは言わずもがなのことです。
 また、「密室の鎮魂歌」の帯には、選考委員三氏の言葉が載っていましたが、特に島田荘司氏の名がそこにあることは、ミステリー好きにとって本格の名作のお墨付きのように感じます。ともあれ、順調な滑り出しをしたと言えそうです。

 ところで本サイトでは、岸田るり子氏を応援するためにファンクラブサイトを開設致しました。トップページやインフォーメーションページ、そして創作リンクページにリンクバナーがありますので、是非ご覧いただきたいと思います。
2004/10/22 (Fri)

ご質問への回答
 埼玉のMTさんから、2004/10/7/23:20、メールフォームでご質問をいただきましたが、メールドレスが文字化けしていて直接ご回答が出来ません。そこでここにその回答を掲載致します。
 ご質問の内容は、タイトルに関するものでしたが、「応募の常識」の中の原稿用紙の使い方は、あくまでも一般的な使い方です。応募要項の中に表紙にタイトルと名前を書くように指定があるならそちらが優先です。
 MTさんのケースは全く問題ないと思います。

 原稿用紙の書き方の中でも、タイトルと名前の書き方は、これこそが正しいというものが幾つもあって、実のところどれが本当に正しいのかわかりません。
 このように単純なものは明確に決まりを作ればいいのにと思いますが、そうもいかないのでしょうか? いやはや困ったものです。
2004/10/09 (Sat)

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